名古屋地方裁判所 昭和63年(行ウ)1号 判決 1996年5月08日
原告
柏木たえ子
右訴訟代理人弁護士
水野幹男
同
松本篤周
同
西尾弘美
同
森山文昭
同
渥美雅康
同
仲松正人
被告
地方公務員災害補償基金愛知県支部長
鈴木礼治
右訴訟代理人弁護士
早川忠孝
同
佐治良三
同
藤井成俊
同
河野純子
右早川忠孝訴訟復代理人弁護士
安田佳子
同
橋爪進
主文
一 被告が原告に対し昭和六〇年五月三一日付けでした地方公務員災害補償法に基づく遺族補償給付及び葬祭補償給付を支給しない旨の処分の取消しを求める訴えを却下する。
二 被告が原告に対し昭和六〇年五月三一日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 (主位的)
被告が原告に対し昭和六〇年五月三一日付けでした地方公務員災害補償法に基づく遺族補償給付及び葬祭補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 (予備的)
主文第二項と同旨。
3 主文第三項と同旨。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 (本案前)
本件訴えをいずれも却下する。
2 (本案)
原告の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 主位的請求関係
1 請求原因
(一) 本件不支給処分
(1) 原告の亡夫柏木恒雄(以下「恒雄」という。)は、昭和二九年四月一日、名古屋市立名南中学校に教諭として採用され、同市立南光中学校及び富田中学校を経て、昭和五二年四月一日から名古屋市立豊正中学校(以下「豊正中学校」という。)に勤務する教諭であったが、昭和五八年六月二八日午前一時過ぎ頃、自宅で就寝中に胸の痛みを訴えて倒れ(以下「本件発症」という。)、救急車で名古屋市中区栄一丁目三〇番一号所在の岡山病院(以下「岡山病院」という。)に搬送されたが、同日午前三時一五分、心筋梗塞により死亡した。
(2) 原告は、恒雄が本件疾病により死亡したのは公務上の死亡に当たるとして、被告に対し、地方公務員災害補償法(以下「法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭補償給付の請求をしたところ、被告は、恒雄の死亡は公務上の事由によるものと認められないとして、昭和六〇年五月三一日付けで不支給の処分をした(以下「本件不支給処分」という。)。
(二) 本件不支給処分の違法性
本件不支給処分は、以下のとおり、恒雄の死亡が公務上の事由によるものと認められるにもかかわらず、これらを認められないとの判断に基づいてされた点で違法である。
(1) 公務起因性の判断基準
被災公務員の死亡が公務上の事由によるものとして公務起因性が認められるためには、公務と死亡との間に相当因果関係が存在しなければならないが、これが存在するといえるためには、必ずしも死亡が公務遂行を唯一の原因ないし相対的に有力な原因とする必要はなく、当該公務員の素因や基礎疾病が原因となって死亡した場合であっても、公務の遂行が公務員にとって精神的、肉体的に過重負荷となり、基礎疾病を自然的経過を超えて急激に増悪させて死亡の時期を早めるなど基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を生じさせたと認められれば足りるというべきである。
(2) 恒雄の公務の内容
恒雄は、豊正中学校の教諭として、理科の授業を担当するほか、昭和五三年四月一日からは、生徒指導主事の職にあり、同時に名古屋市少年補導委員を兼ねていた。
(3) 恒雄の公務の過重性
恒雄は、生徒指導主事として、昼夜を分かたず生徒指導に奮闘し、その勤務状況は、以下のとおり、過重なものであった。
① 豊正中学校は、いわゆる荒れた状況にあり、恒雄は、生徒指導主事として、毎日午後七時ないし午後八時まで学校に残って生徒の指導・相談に当たり、あるいは校外でも巡視をするなど、少しでも時間があれば、生徒の問題行動の発見と指導に務めていた。また、深夜、休日にも電話で相談を受けたり、生徒宅を訪問したり、事件が起きた現場に赴くなどしていた。
② 恒雄は、昭和五七年九月から本件発症当時までの間間断なく発生する生徒の問題行動に対し、その対処と生徒指導に従事しており、これにより、その心身をすり減らし、ストレスを蓄積させていた。
③ 以下のとおり、豊正中学校では、昭和五八年二月以降特筆すべき各種行事や重大事件が連続して発生したため、その都度、生徒指導の責任者として対処していたが、それが恒雄の労働負担を増大させてその身体的、精神的疲労を蓄積させた。
ⅰ 昭和五八年二月一〇日の対教師暴行事件とその処理
昭和五八年二月一〇日午前八時四五分に、三年生男子生徒四人が男性教師一人に対し暴行するという事件が発生したため、その後、恒雄は、担任教師、学年生徒指導係の教師とともに、生徒に対する事情聴取、全教師に対する報告、警察への報告、保護者に対する指導等に従事し、更に、当該事件が外部に大きく知れわたり報道関係者に対する対応にも迫られるなどした。
ⅱ 同年三月一四日の卒業式前後の非常勤務体制
同年三月一四日の卒業式について、右ⅰの暴行事件等もあって例年に増して神経を尖らせる必要があり、その前々日である一二日から三日間連続して自主的に徹夜の警備とその指揮に当たった。
ⅲ 同年四月一四日の対教師暴行事件とその処理
同年四月一四日午前八時五〇分頃には、三年生女子生徒二人による女性教師一人に対する暴行事件が発生し、生徒指導、保護者指導、警察での事情聴取への対応、報道関係者への対応に追われ、身体的、精神的疲労が蓄積する一方であった。
ⅳ 同年五月一〇日から一二日までの修学旅行への付き添い
恒雄は、同年五月一〇日から一二日までの間実施された修学旅行に生徒指導のため付き添ったが、その間間断なく発生するトラブルに対応して、心身をすり減らした。
ⅴ 同月一五日から一七日までの太閤祭での防犯対策
中村区で最大の祭りである太閤祭の際には、生徒の問題行動が多発するため、例年その期間中は教職員と地域関係者で防犯対策を取っていたが、昭和五八年五月一五日から一七日まで行われた太閤祭の際には、恒雄は、一人でその十日前から防犯対策の立案、連絡、印刷物の作成等に当たり、当日の防犯対策には毎日深夜まで当たり、帰宅は三日間とも午前零時三〇分過ぎであった。
ⅵ 同年六月一日の交通事故による生徒の死亡事故とその対策
同年六月一日午後九時五五分頃、三年生男女生徒及び卒業生の六名のグループのうち二名がオートバイ乗車中に事故を起こし、三年生男子生徒が腎臓破裂で入院したことがあったが、その際、恒雄は、毎晩のように病院を訪れ、当該生徒が死亡した後はその自宅を訪れるなどして深夜までその処理に追われた。
④ 休日の取得状況
恒雄は、年休も取らず、昭和五八年五月一二日まで実施された修学旅行に付き添った後、日曜日も生徒指導に当たり、休日を全く取っていなかった。
⑤ 恒雄の本件発症前日の勤務状況等
恒雄は、本件発症前日である昭和五八年六月二七日は、午前七時五〇分に豊正中学校に出勤し、直ちに校舎外周の巡視を行い、朝の打合せの後午前九時から校内巡視を開始し、授業放棄をしていた三年生生徒に指導を行った後、三年生一名がシンナーを吸引しているとの情報を受けてその発見に努め、午前九時四〇分に職員室の自席に疲れた旨述べて戻り、午前九時四五分から理科の授業を行った後、午前一〇時四五分から校内巡視を開始し、授業放棄していた生徒を発見してその指導に当たり、その後第四校時に再度授業を行い、授業終了直後校外に逃げ出そうとしていた生徒に注意を与え、その後も校内巡視を行った上、午後五時二〇分頃退勤した。その帰路、同僚と一緒に学区内を一時間程度車でパトロールした後、午後六時二〇分頃同僚五名とともに軽食等を摂りながら生徒指導の打合せをし、その後同僚二名とともに麻雀荘に入って、午後八時一〇分頃から午後一〇時五〇分頃まで麻雀等をし、その後一時間ほどレストランで雑談をして、翌二八日午前零時頃帰宅した。
(4) 恒雄は、右(3)で述べた過重な公務によりストレスと疲労を過度に蓄積させ、その結果、本件発症を引き起こして死亡するに至ったことが明らかであるから、恒雄の公務と本件発症・死亡との間には相当因果関係が存在するというべきである。
(三) 本件不支給処分に対する不服申立て
(1) 原告は、本件不支給処分を不服として、昭和六〇年八月三日、地方公務員災害補償基金支部審査会(以下「支部審査会」という。)に対し審査請求をしたが、支部審査会は、昭和六一年八月一五日、これを棄却する旨の裁決をした。
(2) 原告は、これを不服として、同年九月一三日、地方公務員災害補償基金審査会「以下「審査会」という。)に対し、本件不支給処分及び右裁決の取消しを求めて再審査請求をしたが、審査会は、昭和六二年九月一六日、これを棄却する旨の裁決をし、原告は、その旨の通知を同年一〇月一九日に受けた。
2 被告の本案前の主張
原告の主位的請求に係る訴えは、以下の二点において不適法であることが明らかである。
(一) 被告が原告に対して昭和六〇年五月三一日付けでした処分は後記二1(一)の本件公務外認定処分であって、被告は、原告に対して本件不支給処分をしておらず、本件不支給処分は不存在である。
(二) 法五六条によれば、地方公務員災害補償基金(以下「基金」という。)の従たる事務所の長が行う補償に関する処分に不服がある者は、支部審査会に対して審査請求をし、その決定に不服がある者は、さらに審査会に対して再審査請求をすることができ、再審診査請求に対する審査会の裁決を経た後でなければ、当該処分の取消しの訴えは提起することができないとされているところ、被告がした旨原告が主張するところの本件不支給処分については、支部審査会に対して審査請求をされることもなければ、審査会に対して再審査請求がされることもないまま、本訴が提起されたものであるから、審査請求前置の要件を満たしていない。
3 被告の本案前の主張に対する原告の反論
法に基づく補償請求手続からすれば、本件不支給処分は後記二1(一)の本件公務外認定処分と実質的に同一の処分であり、主位的請求に係る訴えは、後記二1(一)の本件公務外認定処分の取消しを求めていることに他ならない。しかも、本件不支給処分と実質的に同一と解されるべき後記二1(一)の本件公務外認定処分につき審査請求前置の要件が満たされていることについては、後記二1(三)のとおりであるから、主位的請求に係る訴えは適法というべきである。
4 請求原因に対する認否
請求原因(一)の(1)は認め、(2)は否認する。(二)は争う。(三)は否認する。
5 被告の主張
以下のとおり、恒雄の従事した業務は過重であったとはいえない上、恒雄の健康状態その他の事情に照らせば、その既往症であった心筋梗塞が再発したものというべきであって、恒雄の公務と本件発症・死亡との間には相当因果関係はなく、したがって、その死亡をもって公務上の災害と認めることはできないから、本件不支給処分は適法というべきである。
(一) 公務起因性(相当因果関係)の判断基準
(1) 相当因果関係
法に基づく地方公務員災害補償制度(以下「地公災制度」という。)において災害補償の対象にできるのは、「公務上」の災害に限られている。すなわち、法三一条、四二条は、「職員が公務上死亡した場合」に災害補償を実施すべきことを定めているが、右の「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と公務の間には「相当因果関係」のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならないと解すべきである(最判昭和五一年一一月一二日・訟務月報二二巻一〇号二四五八頁参照)。
そして、本件のような心筋梗塞事案においては、高血圧症、高脂血症、糖尿病等の基礎疾患、肥満、運動不足、性格、年齢等の業務以外の要因も重要な発症・増悪の原因とされているのであるから、これら業務以外の要因と業務要因とを比較して、業務がこれら業務以外の要因と同等かそれ以上に寄与するなど重要な比重を占めていると評価できない限り、業務と疾病との間の相当因果関係はないといわなければならない。
(2) 基金理事長通達の認定基準とその合理性
(1)の相当因果関係の有無の判断は、個々の事案に即して適正かつ明確な基準に基づいて行う必要があるが、そのために地公災制度における相当因果関係の具体的判断については、基金理事長通達である「公務上の災害の認定基準について」(昭和四八年一一月二六日地基補第五三九号・最終改正昭和六一年一月二七日地基補第八号。以下「通達」という。)が定められている。そして、「公務上の疾病」の認定については、労働災害補償保険制度との均衡を図る目的から、労働基準法七五条二項に基づく同法施行規則別表第一の二(同規則三五条関係、以下「別表」という。)と同様の内容を定めている。
別表は、「業務上の疾病」として、「業務上の負傷に起因する疾病」及び「特定の有害因子による疾病」以外に、「その他業務に起因することが明らかな疾病」(以下「包括疾病」という。)を規定している。前者は、業務に内在する有害因子ごとに分類され、各分類項目ごとに最新の医学的知見に基づき業務上の疾病として定型的に捉えられるものについて、当該業務とこれに対応する疾病とが詳細かつ具体的に記載されている。これらは、特定の有害因子・危険を内包する業務に従事することにより、当該業務に起因して発症し得ることが医学経験則上一般的に認められている特定の疾病について類型化したものである。これに対し、後者の包括疾病は、医学的経験則ないし疫学的知見の裏付けがないため、業務と疾病との関係を一般化・定型化できないものである点で、前者と異なる。
したがって、両者の立証過程における具体的違いは、前者の場合には、請求者は、①被災者が例示された危険有害業務に従事し、②法定列挙の疾病に罹患したことを証明するだけで足り(事実上の推定)、業務と疾病との間の因果関係の立証を事実上不要とするのに対し、包括疾病の場合には、①当該業務に当該疾病を発生させる有害因子・危険が内在していること、②右業務の危険性の現実化として疾病が発生したことを被災者側で立証しなければならない。
本件で恒雄が発症した急性心筋梗塞のような虚血性心疾患は、右の包括疾病に当たるものである。そして、虚血性心疾患は、基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態が、加齢や日常生活等における諸種の要因によって増悪し、血管からの出血や血管の閉塞した状態ないし心筋の壊死などが生じ発症に至るものがほとんどであり、医学的に見て、発症の素地となる血管病変等の形成に業務が直接関与するものではないとされるところから、一般的に、虚血性心疾患等は、いわゆる「私病」が増悪した結果として発症する疾病であるとされている。このように、虚血性心疾患等については、特定の業務が特定の虚血性心疾患等を発症させるという関係にはないのであるから、それが、「公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病」に該当すると言えるためには、当該業務が精神的又は肉体的に著しい過重負荷を生じるものであったため、これにより虚血性心疾患等が明らかにその自然的経過を超えて急激に著しく増悪して発症するなど、業務が当該疾患発症の相対的に有力な原因となったと医学的に認められるような例外的な場合に限られるというべきである。
虚血性心疾患が、別表の「その他業務に起因することが明らかな疾病」に該当することを要することは前記したとおりであるところ、右「その他業務に起因することが明らかな疾病」に該当するか否かについては、労働省において、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」による検討、更にその後の医学的知見を踏まえ、「脳、心臓疾患等に係る労災補償の検討プロジェクト委員会」における再検討がされた結果、最新の認定基準として、平成七年二月一日付け基発第三八号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(以下「認定基準」という。)が制定されている。認定基準は、現時点における最高度の医学的知見に基づいて、虚血性心疾患等が明らかにその自然的経過を超えて急激に著しく増悪して発症するなど業務が当該疾患発症の相対的に有力な原因となったと認められる場合を客観的に基準化したものであり、地公災制度における虚血性心疾患等の認定についても認定基準とほぼ同一の基準に基づいて行われている。認定基準の内容は、以下のとおりである。
Ⅰ 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。
イ 発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと。
ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。
Ⅱ 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること。
認定基準の解説では右Ⅰイの要件について、次のとおり説明されている。
「過重負荷」とは、虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(以下「血管病変等」という。)をその自然的経過を越えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいい、「自然的経過」とは、加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいう。
「異常な出来事」とは、a極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、b緊張に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、c急激で著しい作業環境の変化とされている。
「特に過重な業務」とは、当該労働者の通常の所定業務と比較して特に過重な精神的、身体的負荷と客観的に認められる業務であるとされている。
以上のとおり、認定基準は極めて合理性のあるものであり、虚血性心疾患等の公務起因性(相当因果関係)を判断するに当たっても、その基準が十分参酌されなければならない。
(3) 共働原因説の問題点
法にいう「公務上死亡」について、公務と死亡との間に相当因果関係が存するといえるためには、必ずしも死亡が公務遂行を唯一の原因ないし相対的に有力な原因とする必要はなく、当該公務員の素因や基礎疾病が原因となって死亡した場合であっても、公務の遂行が公務員にとって精神的、肉体的に過重負荷となり、基礎疾病を自然的経過を超えて急激に増悪させて死亡の時期を早めるなど基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を生じさせたと認められる場合には、これを肯定できるとするいわゆる共働原因説の考え方は、被災者の素因と業務とが共働して死亡するに至った場合には、その寄与の軽重等や内容の如何を問わず公務起因性を認めようとする理論であり、結局、通常の日常の業務の範囲内の業務による負荷を共働原因として相当因果関係を認めることとなるのであって、地公災制度の趣旨を誤解した独自の解釈というべきであって、容認し得ない。
(4) 相当因果関係の客観的判断
公務起因性の判断に当たっては前記(1)、(2)で述べた基準により、まず、業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められるか否かを検討することになるが、その際には、「通常の日常の業務」、すなわち、被災者が占めていた職に割り当てられた業務のうち正規の勤務時間内に行う日常の業務を基準とし、また、「同僚職員」、すなわち、当該被災者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある者を基準として、客観的に判断されなければならない。この点からすると、「当該業務に従事することが一般的に許容される程度の基礎疾患を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合」には、前記の「同僚職員」ではなく、「当該労働者を基準にして、社会通念に従って」過重負荷と認められるか否かを判断する立場は、被災者の素因が大きければ大きいほど、被災者自身にとっては業務がより過重なものであったと評価されがちであり、発症の事実のみをもって当該被災者本人にとっては業務が過重であったと判断されることになりかねないおそれがあるし、また、前記の「通常の日常の業務」との比較を行わないこととの関係上、当該被災者の従事していた業務が通常の日常の業務であった場合であって、医学的知見によれば被災者が日常業務に従事する上で受ける負荷による影響は、その被災者の血管病変等の自然的経過の範囲にとどまるものとされているような場合にも、当該業務が疾病発症に当たっての相対的に有力な原因とされてしまう危険性も孕んでいるから、妥当でないというべきである。
(5) 相当因果関係の立証責任について
災害と業務との間に相当因果関係が存することについての立証責任が認定請求者側にあることは確立した判例である。そして、前記(2)で述べたとおり、虚血性心疾患等のような包括疾病は、医学的経験則ないし疫学的知見の裏付けがないため、業務と疾病との関係を一般化・定型化できないものであること、特に、虚血性心疾患等は、基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態が、加齢や日常生活等における諸種の要因によって増悪し、血管からの出血や血管の閉塞した状態ないし心筋の壊死などが生じ発症に至るものがほとんどであり、医学的に見ても、発症の素地となる血管病変等の形成に業務が直接関与するものではないとされるところから、一般的に、虚血性心疾患等は、いわゆる「私病」が増悪した結果として発症する疾病であるとされていることからすると、包括疾病につき公務との間の相当因果関係が認められるためには、①当該業務が有害・危険要因を内在するものであること、②右業務の危険性の現実化として疾病が発生したことを立証しなければならないというべきである。
(二) 恒雄の業務が過重でなかったことについて
(1) 恒雄の職務内容
恒雄は、昭和二九年四月一日、名古屋市立名南中学校に教諭として採用され、同市立南光中学校及び富田中学校を経て、昭和五二年四月一日から豊正中学校の教諭となり、その後死亡当時まで豊正中学校で勤務していた。豊正中学校では、恒雄は、理科の授業を担当するほか、昭和五三年四月一日からは、生徒指導主事の職にあり、同時に名古屋市少年補導委員を兼ねていた。
恒雄の授業時間は、生徒指導主事の職にあることから、本件発症当時週一〇時間であり、他の教師の半分程度であり、また、担任学級はなく、三年の副担任であった。右授業時間は、名古屋市内の公立中学校の生徒指導主事の職にある者の平均的なものであり、他の教諭に比べても同程度の業務にすぎず、過重な業務とは認められない。
生徒指導主事の職務は、校長の監督を受け、生徒指導に関する事項を司り、当該事項について連絡調整、指導助言等に当たるものとされているところ(学校教育法施行規則五二条二第三項)、恒雄の豊正中学校における生徒指導主事としての業務内容は、校長の生徒指導に関する管理活動についての補佐、全体的な生徒指導計画の立案・実施・基礎的資料・設備等の整備、その他校内外の教育活動への協力連携などであった。
豊正中学校では、昭和五七年から昭和五八年にかけて、問題生徒によりシンナー・たばこの吸引、教師に対する暴行等の非行があり、恒雄は、これに対し、直接的責任者であった担任教諭を援助するとともに、時には自らも直接生徒の指導に当たっていた。
(2) 恒雄の勤務状況等
① 勤務時間
恒雄の勤務時間は、午前八時一五分から午後五時(土曜日は午後零時一五分)までとされており、この間、午前八時一五分から午前八時三〇分までの間及び午後四時四五分から午後五時までの間(土曜日を除く。)は休息時間であり、午後四時から午後四時四五分までの間(土曜日を除く。)は休憩時間であった。
② 恒雄の本件発症前一〇か月間(昭和五七年九月から昭和五八年六月までの間)の勤務状況
恒雄は、本件発症前一〇か月間(昭和五七年九月から昭和五八年六月までの間)においては、従来と変わらぬ業務をごく普通に行っていたにすぎず、他の同僚職員や従来の恒雄自身の業務と比較して過重な業務をしていた事実はない。
③ 恒雄の本件発症前日の勤務状況等
恒雄は、本件発症前日である昭和五八年六月二七日は、午前七時五〇分に豊正中学校に出勤し、二時間の理科の授業を担当したほか、校内巡視、生徒指導等を行い、午後五時二〇分退勤した。その帰路、同僚と一緒に学区内を一時間程度車でパトロールした後、軽食等を摂り、その後同僚二名とともに麻雀荘に入って、午後八時一〇分頃から約二時間四〇分間麻雀等をしたりした上、翌二八日午前零時頃帰宅した。
(3) 恒雄の本件発症から死亡までの状況
恒雄は、昭和五八年六月二八日午前零時頃に帰宅した後、入浴を済ませて午前一時頃就寝したが、しばらくして胸部に痛みを訴えて起き上がり、原告がかかりつけの医師に電話をしている間に倒れた。その後、救急車で岡山病院に搬送され、救急車の車内で酸素吸入、心臓マッサージ等の手当を受けたが、午前三時一五分心筋梗塞により死亡した。
(三) 恒雄の健康状態等
(1) 恒雄は、昭和四九年六月二一日、胸が締め付けられるような痛みのため倒れ、二日間入院したが、それは、症状、血液検査等から見て心筋梗塞によるものであり、本件発症前に既往症として虚血性心疾患(心筋梗塞)を有していた。
(2) 恒雄には、虚血性心疾患の長期危険因子があった。
すなわち、虚血性心疾患の既往症を有していた恒雄は、昭和五六年六月二九日に受けた健康診断では、総コレステロール二七一ミリグラム/デシリットル、血糖値一八九ミリグラム/デシリットルと、異常値が認められ、「要再検」とされたにもかかわらず、再検査を受けなかった。また、恒雄は、一日に、煙草を二〇本ないし四〇本吸っていた。これらは、既往症の再発としての本件発症の原因となった。
(3) 恒雄には、虚血性心疾患の短期危険因子もあった。
すなわち、本件発症当日は、突然死の多い月曜日であり、かつ、夜間が短く、睡眠障害が起こりやすく、また、食事が偏ることによりポックリ病、心筋梗塞が起こりやすい六月下旬の不快な気象条件であった。また、当日午後五時二〇分頃下校し、車で地域パトロールに出かけた後、午後八時一〇分頃から約二時間四〇分煙草を吸いながら「三人打ち麻雀」を行い、その後、午前零時頃に帰宅して入浴した。これらは本件発症を助長する引き金になった。
二 予備的請求関係
1 請求原因
(一) 本件公務外認定処分
(1) 前記一1(一)(1)と同じ。
(2) 原告は、恒雄が心筋梗塞により死亡したのは公務上の死亡に当たるとして、被告に対し、法に基づき公務上災害認定の請求をしたところ、被告は、昭和六〇年五月三一日付けで、恒雄の死亡は公務外の災害と認定する旨の処分をした(以下「本件公務外認定処分」という。)。
(二) 本件公務外認定処分の違法性
本件公務外認定処分は、前記一1(二)のとおり、恒雄の死亡が公務上の事由によるものと認められるにもかかわらず、これを認められない旨判断した点で違法である。
(三) 本件公務外認定処分に対する不服申立て
(1) 原告は、本件公務外認定処分を不服として、昭和六〇年八月三日、支部審査会に対し審査請求をしたが、支部審査会は、昭和六一年八月一五日、これを棄却する旨の裁決をした。
(2) 原告は、これを不服として、同年九月一三日、審査会に対し、本件公務外認定処分及び右裁決の取消しを求めて再審査請求をしたが、審査会は、昭和六二年九月一六日、これを棄却する旨の裁決をし、原告は、その旨の通知を同年一〇月一九日に受けた。
2 被告の本案前の主張
行政事件訴訟法一四条一項は、出訴期間の定めとして、「取消訴訟は、処分又は裁決があったことを知った日から三箇月以内に提起しなければならない。」と定めている。これを本件について当てはめると、原告は、本件公務外認定処分に対する不服申立てを前記1(三)の経緯のとおり行い、審査会の昭和六二年九月一六日付けの裁決の通知を同年一〇月一五日に受け取ったのであるから、昭和六三年一月一五日の経過をもって、右出訴期間は満了するものというべきであるところ、原告の本件予備的請求に係る訴えは昭和六三年四月二五日に提起されたものであるから、右の出訴期間経過後に提起されたことが明らかであり、不適法な訴えとして却下を免れない。
3 被告の本案前の主張に対する原告の反論
出訴期間遵守の有無は、当該訴えが訴え変更に係るものであった場合には、原則としては、訴えの変更の書面が裁判所に提出された時を基準として判断されるべきであるが、「変更前後の請求の間に訴訟物の同一性が認められるとき、又は両者の間に存する関係から、変更後の新請求に係る訴えを当初の訴え提起の時に提起されたものと同視し、出訴期間の遵守において欠けることがないと解すべき特段の事情があるとき」には、例外として旧訴提起時を基準として判断することができるものというべきである(最一小判昭和五八年九月八日・判例時報一〇九六号六二頁参照)。
本件では、前記一3で主張したとおり、本件公務外認定処分は、法二五条に定める遺族補償・葬祭補償を支給しない旨の処分と実質的には同一であるから、主位的請求と予備的請求の間には訴訟物の同一性が認められるというべきである。
仮にそうでないとしても、本件では、右最高裁判例にいう「変更後の新請求に係る訴えを当初の訴え提起の時に提起されたものと同視し、出訴期間の遵守において欠けるところがないと解すべき特段の事情」があるから、予備的請求に係る訴えは適法というべきである。すなわち、遺族補償請求、葬祭補償請求に当たっては、直接的に遺族補償請求書、葬祭補償請求書の提出を求めず、また、その補償請求の原因である災害が公務であるか否かの認定を求める公務災害認定請求書の提出を求めるという手続が採用されているが、この手続は基金の内部手続としての定めであるに過ぎないし、本件の主位的請求及び予備的請求で取消しを求めている処分は、いずれにしても被告が原告に対し昭和六〇年五月三一日付けでしたところの処分であることは明らかであって、本件予備的請求に係る訴えについては、これを当初の訴え提起の時に提起されたものと同視し、出訴期間の遵守において欠けるところがないと解すべき特段の事情があるというべきである。
4 請求原因に対する認否
請求原因(一)は認め、(二)は争う。(三)のうち、原告が審査会から再審査請求棄却の通知を受けた年月日が昭和六二年一〇月一九日であることは否認し、その余は認める。原告が右通知を受けたのは同月一五日である。
5 被告の主張
前記一5と同じ。
第三 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する(なお、判決理由中に記載されている各書証は、その成立(写しについては原本の存在を含む。)について、いずれも争いがないか、真正に成立したことが認められるものである。)
理由
第一 主位的請求に係る訴えの適法性について
処分の取消しの訴えにおいては、当該行政庁の処分が存在することは訴えの要件であるところ、原告は、その主位的請求において、本件不支給処分の取消しを求めているのは明らかであるから、主位的請求に係る訴えが適法であるためには、当然本件不支給処分が存在していなければならない。
ところで、法においては、「公務上(外)認定証言分」と「補償金(不)支給処分」とは区別され、両者は別個の処分とされているところ、本件不支給処分がされたことを直接裏付ける証拠はなく、かえって、乙第四号証によれば、被告が原告に対して昭和六〇年五月三一日付けでした旨原告が主張するところの処分は実は本件不支給処分ではなく、本件公務外認定処分であることが明らかであるから、本件不支給処分は存在しないことに帰着する。したがって、本件不支給処分の取消しを求める原告の主位的請求に係る訴えは、不適法である。
第二 予備的請求に係る訴えの適法性について
訴えの変更は、変更後の新請求については新たな訴えの提起に他ならないから、右訴えについて出訴期間の制限がある場合には、右出訴期間遵守の有無は、右訴えの変更の時を基準としてこれを決すべきであるが、変更前後の請求の間に訴訟物の同一性が認められる場合、又は両者の間に存する関係から、変更後の新請求に係る訴えを当初の訴え提起の時に提起されたものと同視し、出訴期間の遵守において欠けるところがないと解すべき特段の事情が認められる場合には、例外的に当初の訴え提起の時を基準としてこれを決することができるものと解するのが相当である(最一小判昭和五八年九月八日・判例時報一〇九六号六三頁参照)。
これを本件についてみるに、主位的請求は本件不支給処分の違法を主張してその取消しを求めるものであるのに対し、訴えの変更により追加された予備的請求は本件公務外認定処分の違法性を主張してその取消しを止めるものであるから、両請求の間に訴訟物の同一性があるということはできない。しかしながら、乙第四号証及び弁論の全趣旨によれば、被告が原告に対して昭和六〇年五月三一日付けでしたのは本件公務外認定処分だけで他に処分をしていないこと、原告は、当初本件公務外認定処分をもって不支給処分と見誤ってその取消しを求める旨記載した訴状を提出して訴えを提起したこと、もし原告において被告から受けた右処分が公務外認定処分であると正しく認識しておれば、当初からその取消しを求める旨の訴えを提起したであろうことは確実であること、換言すれば、法の上で公務外認定処分と不支給処分が別個の処分と構成されている関係上、原告が提起した右両請求はその各訴訟物を異にするものとならざるを得ないものの、右両処分は、いずれにしても原告が行う公務災害補償請求が認容できるかどうかの判断に向けた一連の手続上のものであるという点では、相互に密接な関連を有しており、そうであればこそ、原告が訴え提起によりその取消しを求めた真意は、あくまでも被告が原告に対して昭和六〇年五月三一日付けでした法に基づく唯一の処分であることが認められるのであって、以上の事情に加えて、右両請求の当否は、いずれにしても恒雄の死亡が公務に起因するものであるか否か、すなわち公務起因性の判断如何によって決せられるという点で、争点を同じくするものであることを併せ考慮すれば、変更後の予備的請求に係る訴えを当初の訴え提起の時に提起されたものと同視し、出訴期間の遵守において欠けるところがないと解すべき特段の事情が認められるものというべきである。したがって、本件においては、右出訴期間を遵守したかどうかにつき当初の訴え提起の時を基準としてこれを決することができるところ、原告が本件公務外認定処分に対する不服申立てを前記の予備的請求関係に係る請求原因(三)の経緯のとおり行い、審査会の昭和六二年九月一六日付けの裁決の通知を同年一〇月一五日に受け取ったことは被告が自認するところであり(乙第九号証によれば、右裁決が同年一〇月一五日に通知された事実が認められる。)、また、その後昭和六三年一月一五日の経過前である同年一月八日に当初の訴えが提起されたことは当裁判所に顕著であるから、結局、原告の予備的請求に係る訴えはその出訴期間経過前に提起されたものとして違法であるというべきである。
第三 予備的請求の当否について
一 請求原因(一)の事実(本件公務外認定処分の存在)及び(三)のうち、原告が審査会から再審査請求棄却の通知を受けたのが昭和六二年一〇月一九日であることを除くその余の事実(不服申立て)はいずれも当事者間に争いがない。
二 公務起因性の判断基準について
1 公務と死傷病との間の相当因果関係
法による地公災制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する公務に従事する者について、右公務に内在ないし随伴する危険性が発現し、公務災害が生じた場合に、任命権者の過失の有無にかかわらず、被災公務員の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そして、法が災害補償の要件として、法三一条、四二条において「公務上死亡し……た場合」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、公務と死傷病との間に公務起因性があるというためには、当該公務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち公務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である(最判昭五一年一一月一二日・集民一一九号一八九頁参照)。そしてこの理は本件疾病のような虚血性心疾患等の非災害性の公務災害に関しても何ら異なるものではない。
2 認定基準について
これに対し、被告は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する公務起因性については、通達がそれと同一の内容を定めているところの別表の第九号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」と認められることが必要であり、また、右「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関しては、認定基準にいう「業務による明らかな過重負荷」等の認定基準を十分参酌しなければならない旨主張する。
しかし、労基法七五条二項が業務上の疾病の範囲を命令で定めることにした趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどに明確でないため、その点を命令で明らかにしようとしたことにあるのであって、これにより相当因果関係の認められる範囲を拡張したり、制限しようとしたものではないというべきである。また、「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判断基準を示したものに過ぎないものであるから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものでないことはいうまでもない。
もっとも、右認定基準が脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議の報告に基づき定められたものであるなどの経緯に照らすと、認定基準は業務起因性について医学的、専門的知見の集約されたものとして、高度の経験則を示したものと理解することができるのであって、本件疾病のような虚血性心疾患の発症に関する相当因果関係の有無を判断するに当たっては、右専門家会議の報告及び認定基準の示すところを考慮することの必要性を否定することはできず、その限度において被告の右主張は正当であるというべきである。
3 相当因果関係の判断基準について
公務と本件疾病のような虚血性心疾患の発症との間の相当因果関係の有無を判断するに当たり基礎とされるべき事実と基準については、次のとおり考えるのが相当である。
(一) 業務過重性と相対的有力原因
前記1で述べた地公災制度の趣旨から明らかなとおり、公務起因性が認められるためには、公務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められることが必要であるが、本件疾病のような虚血性心疾患の発症については、もともと被災公務員に、冠動脈硬化、冠動脈内腔の狭窄等の血管病変が存在し、それが何らかの原因によって閉塞して発症に至るのが通常であると考えられるところ、右血管病変は、医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、右血管病変の直接の原因となるような特有の公務の存在は認められていない。また、右血管病変が増悪して虚血性心疾患が発症することは、右血管病変が存する場合には常に起り得る可能性が存するものであり、右虚血性心疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の公務というものも医学上認められていない。
したがって、こうした虚血性心疾患の発症の相当因果関係を考える場合、まず第一に、当該公務が公務に内在ないし随伴する危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち当該公務が過重負荷と認められる態様のものであること(以下「公務過重性」という。)が必要であり、そしてさらに、前記のとおり虚血性心疾患の原因としては加齢や日常生活等も考えられ、公務そのものを唯一の原因として発症する場合はまれであり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みると、「相当」因果関係が認められるためには、単に公務が虚血性心疾患の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該公務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。
以上述べたところからして、当該公務が相対的に有力な原因であることを要せず、基礎疾病等と共働原因となって死亡の結果を生じさせたと認められれば足りる旨の原告の主張はこれを採用することができない。
(二) 公務過重性の判断基準に関する認定基準の当否
通達がそれと同一内容を定めている認定基準は、その附属のマニュアル等により業務過重性(公務過重性)の判断基準を示しているところであり、認定基準等に沿って公務過重性を判断することにも一定の合理性のあることは前に述べたとおりである。
しかし業務過重性(公務過重性)について、認定基準等が、日常の業務に比して特に過重な肉体的、精神的負荷と客観的に認められる業務でなければならないとした上、客観的とは、「医学的に」「急激で著しい増悪」の要因と認められることをいうものであるから、被災者のみならず、「同僚又は同種労働者」にとっても、特に過重な肉体的、精神的負荷と判断されるものでなければならないとしている点は、結果として相当因果関係の判断に特別の要件を付加することになるものであって採用できない。
なぜなら、一般に因果関係の立証は、「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」(最判昭五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁参照)と解されていること、とりわけ、医学的な証明を必要要件とすると、精神的、肉体的負荷の一つとされるストレスや疲労の蓄積といったものが冠動脈硬化や冠動脈内腔の狭窄等の基礎疾患に及ぼす影響や基礎疾患と心筋梗塞等の虚血性心疾患の発症機序について医学的に十分な解明がなされているとはいい難い現状においては、被災公務員側に相当因果関係の立証について過度の負担を強いる恐れがあり、殆どの場合、公務と虚血性心疾患との間の因果関係が否定される結果になりかねないこと、このような結果は、現在の社会の実情に照らし、地公災制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。また、認定基準等により業務過重性(公務過重性)判断の基準とされる「同僚又は同種労働者」についても、当該被災者の年齢、具体的健康状態等を捨象して、基礎疾患、健康等に問題のない労働者を想定しているとすれば、それは、多くの労働者がそれぞれ健康上の問題を抱えながら日常の業務に従事しており、しかも高齢化に伴いこうした問題を抱える者の比率が高くなるといった社会的現実の存することが認められることを考慮すると、業務過重性(公務過重性)の判断の基準を社会通念に反して高度に設定したものといわざるを得ないものであって、同じく採用できない。
(三) 公務過重性の判断基準
以上によれば、冠動脈硬化、冠動脈内腔の狭窄等の基礎疾患を有する公務員の公務過重性については、その基礎疾患が当該公務に従事することが一般的に許容される程度のものであり、その程度の基礎疾患を有する公務員がこれまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合は、当該公務員を基準にして、社会通念に従い、当該公務が公務員にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。
そして、このような過重負荷の存在が認められ、これが原因となって基礎疾患を増悪させるに至ったことが認められれば、右過重負荷が自然的経過を超えて基礎疾患を増悪させ死傷病等の結果を招来したこと、すなわち公務と結果との間に因果関係の存することが推認されるのみならず、右過重負荷が発症に対し相対的に有力な原因であることも推認され、その結果、基礎疾患が自然的経過をたどって発症するほどに重篤な状況にあったこと、公務外の肉体的、精神的負荷その他公務の過重負荷以外の原因が公務に比較して相対的に有力なそれとして基礎疾患を増悪させたこと、当該公務員が、発症の危険性があることを自ら認識しながらこれを秘匿するなどして敢えて公務に従事したこと等の特段の事情について主張立証のない限り、公務と結果との間の相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。
4 そこで、以下本件において、まず恒雄の本件発症に至るまでの健康状態等、特に恒雄の基礎疾患としての冠動脈粥状硬化等の血管病変の有無、程度等を、次いで、恒雄が従事した公務の内容、勤務状況等を検討し、その上で、基礎疾患として右血管病変を有し心筋梗塞の発症の危険があった恒雄を基準にして判断した場合、その公務が、恒雄の血管病変をその自然的経過を超えて急激に増悪させる危険を生じさせるに足りるほどに過重であったといえるか否かについて順次判断することとする。
三 本件発症に至る経緯
証拠(甲第四、第六ないし第八号証、第三五号証、第五〇号証の二、三、第五一ないし第五七号証、第五八号証の一、第六一、第六三ないし第七八号証、第八一号証、第八三ないし第八五号証、第八九ないし第九一号証、第九四号証、第九五号証の一、四ないし六、第九七ないし第一〇四号証、乙第二二、第二四、第二五、第二七、第二八号証、第三二ないし第三五号証、第三六号証の一、二、第三九ないし第四一号証、第四三ないし第五五号証、証人浅井喜久雄、同水野康及び同田渕哲雄の各証言)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
1(一) 恒雄は、本件発症当時五一歳で、身長一六九センチメートル、体重六五キログラムであり、後記(二)(1)の入院治療を除いては、昭和五七年七月頃から一か月間歯槽膿漏で歯科医院に通院したこと、風邪を年二、三回ひくことがあっただけで、病気のため欠勤するようなことはなく、後記四4で認定するとおり、少なくとも昭和五六年度以降年次休暇も取ることなくその職務に就いていた。
(二) 総コレステロール値等
(1) 恒雄は、昭和四九年六月二一日、胸が締め付けられるような痛みのため倒れ、二日間入院したことがあったが、その際にされた検査の結果、総コレステロールが二九九ミリグラム/デシリットル、β―リポプロティンが八二〇ミリグラム/デシリットル、GOTが八〇単位、LDHが六七〇単位で、いずれも正常値を超えて高かった。
(2) また、昭和五六年健康診断の結果では、総コレステロールが二七一ミリグラム/デシリットルで正常値を超えていた。なお、血糖値は一八九ミリグラム/デシリットルであったが、甲第九五号証の一、同号証の四ないし六及び証人田渕哲雄の証言によれば、右血糖値の検査をする際の採血は当日の午後一時過ぎにされたことも十分あり得ることが窺われ、その検査結果が、「朝食前空腹時」のものであるとは認められない。
(三) 恒雄の喫煙状況
恒雄は、飲酒の習慣はなかったが、煙草は毎日二〇本位吸っていた。
2 心筋梗塞の発症機序、病像、危険因子等
(一) いわゆる虚血性心疾患とは、心筋を取り巻く冠動脈の血流阻害により、心筋への血液の循環が阻害され、その供給が不足することによって起こる疾患であり、このうち、心筋梗塞はその不足の程度が著しく心筋の壊死を来すものであり、心筋虚血が不可逆的である点で、心筋の壊死にまで至らず心筋虚血が可逆的で一時的な狭心症と区別される。その典型的な症状は、胸通、呼吸困難、胃腸症状(嘔気、嘔吐)、ショック(冷や汗、意識障害)などであり、発症の時期は、労作とは関係のない夜の安静時や就寝中などの方が多い。
(二) 冠動脈の血流阻害は、その狭窄又は閉塞によって生じるが、その主たる原因は冠動脈の粥状硬化であるとされる。これは、血管の三層の膜のうち、内膜から中膜にかけての組織に脂肪変性が起こり、更に内膜に線維の増殖が付加され、その結果、血管内腔側が膨れ上がる変化であり、これによる冠動脈内腔の狭窄が進むと、心筋の要求する血液を供給し得なくなることにより心筋の変性、壊死に至り、心筋梗塞を発症するとされる。但し、心筋梗塞は、粥状動脈硬化のみによる場合の他、動脈硬化が生じている箇所に発生する血栓や血管攣縮によって促進され、発症することがある。
(三) 冠動脈硬化及び心筋梗塞の危険因子としては、①高コレステロール血症、②高血圧、③喫煙、④糖尿病、⑤肥満、⑥ストレスないし過労等が挙げられる。
(四) なお、心筋梗塞の危険因子として挙げられるストレスの発生要因は種々であって、公務のみではないこと、ストレスないし疲労の発生、その受容の程度及び身体に与える影響についても個体差が存し、現在の医学水準ではストレスないし疲労の蓄積といったものを客観的・定量的に把握できないことも確かであり、このことから、ストレスないし疲労の蓄積と心筋梗塞の発症との間の因果関係を医学的に肯定することはできないとの見方も存する。
しかし、法的因果関係は必ずしも厳密に医学的な証明を要するものではなく、ましてストレスないし疲労の蓄積が定量的に把握できなければ因果関係を肯定することができないといった性質のものではないというべきであり、むしろ、右因果関係についても、通常人の目から見て通常の公務により受ける程度を超えたストレスないし疲労の蓄積が認められ、これが心筋梗塞の発症を招いたものと判断され、また、医学的にも、厳密にその機序、程度を証明することまではできないにしても、そのような作用のあることが矛盾なく説明された場合には、因果関係を推認して妨げないものと解される。
3 医師の意見
(一) 藤田保健衛生大学医学部内科教授水野康の意見
藤田保健衛生大学医学部内科教授である水野康は、その意見書(乙第二二、第四〇号証)及び本件訴訟の証人尋問において、概ね次のとおり意見を述べている。
(1) 恒雄の死亡は、急性心筋梗塞によるものと考えられる。
(2) 恒雄は、昭和四九年六月二一日に入院した際の前記1(二)(1)の検査結果からみて、その当時から高コレステロール血症、糖尿病、喫煙等の危険因子を有し、また、父は高血圧、母は糖尿病・脳軟化症によって死亡したことから、遺伝的素因もあった。
(3) 恒雄が昭和四九年六月二一日に入院した際の前記1(二)(1)の検査結果、その当時恒雄が冷や汗を伴う胸部絞扼感を訴えたことからみると、その時点で、急性心筋梗塞を発症した可能性が大であり、その発症時点で既に冠動脈硬化がかなり進展しており、生活規則をする必要があったにもかかわらず、これを放置していた。
(4) 恒雄の業務上のストレスや時間外勤務が本件発症に何らかの原因として作用したことも全面的には否定できないが、そのかかわりは強いとはいえない。むしろ、年間でも心筋梗塞の発症の最も多い時期である六月二七日に、体調が良くないにもかかわらず、深夜まで麻雀をし、帰宅後入浴したことがきっかけとなり、既に進行していた冠動脈硬化から急性心筋梗塞を起こしたものと推察する。
(二) 名南会名南病院副院長田渕哲雄の意見
名南会名南病院副院長である田渕哲雄は、その意見書(甲第九四号証)及び本件訴訟の証人尋問において、概ね次のとおり意見を述べている。
(1) 恒雄の死亡は、急性心筋梗塞によるものと考えられる。
(2) 恒雄が昭和四九年六月二一日に入院した際の前記1(二)(1)の検査結果からその時点で心筋梗塞の診断を行うことは困難であり、他の疾患の可能性もないではないが、狭心症あるいは心筋梗塞の可能性は否定できないから、その時点で「心筋梗塞の疑いを持って引き続き経過を観察し診断を確定する」という作業が必要な状況にあったと考える。
(3) 恒雄には、高脂血症、喫煙という危険因子があり、これが冠動脈粥状硬化の促進に作用したと考えられるが、高血圧はなく、肥満、食事等は危険因子としては作用していないと考えられる。
恒雄の父が高血圧症で、母が糖尿病・脳軟化症で死亡しているが、いずれも高齢での死亡であるから、これらの事実をもって危険因子と考えることは適切でない。
また、糖尿病であるか否かは、「糖尿病の症状のある場合」に、任意の時刻に測定したときは二〇〇ミリグラム/デシリットル以上、朝食前空腹時に測定したときは一四〇ミリグラム/デシリットル以上であれば、糖尿病であると診断してよい旨の基準によって行われる。そして、恒雄の昭和五六年の健康診断の際の前記1(二)(2)の血糖値は朝食前空腹時に測定されたものでない可能性が高いから、前者の基準によるべきであるところ、恒雄の血糖値はその基準値以下であり、しかも、恒雄に糖尿病の症状があった事実は記録中にないから、恒雄が本件発症当時糖尿病であった可能性は少ないと考える。
(4) ストレスが冠動脈硬化や心筋梗塞発症の危険因子となることは一般的にいわれているところである。豊正中学校においては、本件発症当時、対教師暴力、窃盗、家出、シンナー吸引、器物破損、その他のいわゆる非行行為の横行という事態が、豊正中学校の管理能力を超えて進行し、生徒指導主事としての恒雄に重くのしかかり、精神的・身体的負荷を急速に増大させていたと考えられる。このような恒雄の過重な業務が原因となって、かねてから存在していたと思われる冠動脈粥状硬化の破綻を引き起こさせ、あるいは冠動脈の攣縮を起こさせ、心筋梗塞に至らしめたと考えられる。
(三) 愛知県職員病院長岡本登の意見
愛知県職員病院長である岡本登は、その意見書(乙第二七号証)において、概ね次のとおり意見を述べている。
(1) 恒雄の死亡は、急性心筋梗塞によるポンプ失調か心室破裂又は重症不整脈(心室細動)によるものと考えられる。
(2) 恒雄は、生徒指導主事という職務に従事していたことを考えると、ある程度のストレスが重なったことは否定できないが、医学的には、心筋梗塞の既往があると考えられ、しかも、高コレステロール血症、糖尿病、喫煙の危険因子等を持ちながら、十分な検査、治療、管理がなされず、危険因子のコレステロールが不適当で、冠動脈疾患が進行・増悪し、無症状性心筋虚血の状態が続き、心筋梗塞の再発により本件発症に至ったと考えられる。
(四) 国立名古屋病院循環器科医師加藤林也の意見
国立名古屋病院循環器科医師である加藤林也は、その意見書(乙第二八号証)において、概ね次のとおり意見を述べている。
(1) 恒雄の死亡は、断定はできないが、急性心筋梗塞又はその重篤な合併症によるものと考えられる。
(2) 恒雄の勤務状況から見て、精神的、身体的ストレスがあったことは否定できないが、これをもって医学的に見て心筋梗塞を発症させるに足りる程度のものということは困難であり、むしろ、恒雄が有していた、高コレステロール血症、糖尿病、喫煙、家族歴等の心筋梗塞発症の誘因となり得る複数の危険因子、ひいては動脈硬化を問題視すべきである。
(五) 主治医浅井喜久雄の意見
恒雄の主治医であった浅井喜久雄は、その意見書(甲第三五号証)及び本件訴訟の証人尋問において、概ね次のとおり意見を述べている。
(1) 恒雄の死亡は、急性心筋梗塞によるものと考えられる。
(2) 恒雄には、心筋梗塞の危険因子として、①血清脂質異常、特に高コレステロール血症、②喫煙、③糖尿病、④情動ストレスが関連するが、①の危険因子のみでは心筋梗塞を発生させることはなく、また、血糖値がやや高かっただけで、③の糖尿病に罹患していたとはいえない。恒雄が豊正中学校で生徒指導主事として、平日休日の別なく、昼夜の区別もなく五年三か月の長きにわたり加えられてきたストレスが、本件発症の原因の主役となったものと考えられる。
4 結論
以上によれば、恒雄は、昭和四九年六月頃に心筋梗塞を強く疑われる疾患に罹患し、それ以降その経過観察を要するべき状況にあったこと、右罹患当時既に高コレステロール血症の状態にあり、その後昭和五六年六月二九日当時の健康診断の際得られた値も改善されておらず、しかも、右のような状況に自らがあることを認識しないままに喫煙の習慣をそのまま維持継続していたことからして、本件発症当時、冠動脈粥状硬化とそれによる冠動脈内腔の狭窄(以下「本件血管病変」という。)が存在している状態にあったこと、恒雄は本件血管病変を有していながらも、外見上は健常者として何の支障もなくその公務に従事していたこと、その間、本件血管病変を基礎としてこれに冠動脈硬化及び心筋梗塞の危険因子が作用することにより、これを進行させれば、心筋の変性、壊死をもたらして心筋梗塞を発症させるおそれがあったこと、恒雄は急性心筋梗塞を発症した結果死亡したことが認められる。
四 恒雄の公務等
証拠(甲第二、第五号証、第一〇及び第一一号証の各一、二、第一二、第一三号証、第一六及び第一七号証の各一、二、第一八、第一九号証、第二〇及び第二一号証の各一、二、第二二ないし第二七号証、第二八号証の一、二、五ないし一三、第二九号証の一ないし六、第三〇号証の一ないし五、第三二、第三三号証、第三四号証の一ないし三、第三六ないし第四二号証、第四四号証、第四九号証の二、第九三号証、乙第三、第一九、第三〇号証、証人加藤凱城、同渡辺訓兆、同青木勝正、同木村武則及び原告本人の各供述)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 豊正中学校の本件当時の状況
昭和五八年当時、豊正中学校は、その生徒数約一五六〇名で、名古屋市では有数の大規模中学校であった上、その場所も中村区にあって、周囲には、娯楽センター、ゲームセンターや、昔からの歓楽街も近く、また、恵まれない家庭環境に育った生徒が多いためもあって、校内における喫煙、シンナー吸引、授業妨害、校外での万引き、窃盗、恐喝等の生徒の問題行動が目立ち、特に、昭和五七年九月以降は、概ね別紙記載のような非行、問題行動が発生し、いわゆる荒れた中学校の様相を呈していた。
2 恒雄の公務内容
(一) 恒雄は、昭和二九年四月一日に名古屋市立名南中学校教諭になり、その後、同市立の南光中学校、富田中学校と順次転勤した後、昭和五二年四月豊正中学校に転勤した。豊正中学校では、理科の授業を担当するほか、豊正中学校における校務分掌上、昭和五三年四月一日から本件発症当時までの約五年間は毎年一貫して生徒指導主事の職にあり、「校外指導」のキャップを兼ねた生徒指導の総括責任者として、生徒指導の方針等の企画立案に当たるとともに、「校内指導」のキャップ及び両キャップの下で各生徒指導係を分担する教諭らと協力して、生徒の問題行動の予防、実際の問題行動についての生徒指導と事後処理にも第一線で当たっていた。また、生徒の問題行動が起きた場合における、保護者、学区住民、他校、警察といった外部との折衝等の事務は主として生徒指導主事である恒雄が当たっていた。なお、恒雄は、名古屋市少年補導委員を兼ねていた。
(二) 前記1のとおり、豊正中学校では昭和五七年九月以降いわゆる荒れた中学校の様相を呈していたため、生徒指導主事としての恒雄は、出勤後、授業以外の時間は、自校の生徒が抜け出したり、他校の生徒が侵入したりするなどの問題行動がないかどうかを確認しながら、豊正中学校の校内、周囲を見て回ったり、抜け出した生徒が外で問題行動を起こし、その連絡を受けた場所に駆けつけてこれに対応したり、前日に問題行動を起こした生徒の指導に当たるなどしており、生徒が部活動を終えて下校する午前七時頃まで居残ることが多く、問題が生じたときには午後八時ないし九時頃まで居残ってその後退勤していたが、帰宅途中にも、自主的に学区内を巡視し、生徒指導を行っていた。また、恒雄は、自宅が豊正中学校に近かったこともあって、夜間も生徒の父兄や学区内住民から相談等を受けることが多く、これにまめに応じ、相談内容によっては電話で解決できず、生徒の自宅に赴くこともしばしばであった。
(三) 恒雄は、昭和五七年度及び昭和五八年度は、いずれも三年生の副担任を勤め、かつ、授業は理科を週八時間、「道徳、特別、創意活動」の科目を週二時間の合計一〇時間担当することとされており、この面での職務を軽減されていたが、これは、生徒指導主事としての日常の職務が多い上、生徒の問題行動が発生した場合、生徒指導主事として直ちにこれに対応しなければならないことからその負担を軽減すべきとの配慮に基づく職務分担であった。
(四) なお、市教委は、昭和五七年九月以降いわゆる荒れた中学校の様相を呈している豊正中学校の状況を考慮し、生徒の非行、問題行動の防止・解決に資するとともに、生徒指導業務による教師の疲労軽減を図ることを目的として、昭和五八年四月の異動期には、新進気鋭の校長を登用し、女性の転入教諭を極力避け、生徒指導主事である恒雄の手助けのため、生徒指導に関心の深い男性教諭二名を配置するなど、人事異動の面でも配慮を加えていた。
3 恒雄の本件発症前日までの勤務状況
豊正中学校において昭和五八年二月以降発生した生徒の主たる問題行動等について、恒雄が従事した事後処理等の勤務の内容は以下のとおりである。
(一) 三年生男子生徒による対教師暴行事件とその処理
昭和五八年二月一〇日午前八時四五分、三年生男子生徒四名が、長谷川教諭からシンナー吸引を注意されたことを逆恨みし、集団で教室に押し掛け、ホームルームの授業をしていた同教諭に対し、顔面を殴ったり、足蹴りをするなどの暴行を加え全治一か月の傷害を負わせるという事件が発生した。恒雄は、その事後処理として、当日中に、学級担任や三年生の生徒指導係の教諭とともに、生徒に対する事情聴取を個別に行い、同月一六、一七日にはいずれも午後六時過ぎまで保護者に対する指導を行い、その上で、同月一七日には、右事件の経過と指導経過を全教師に報告する一方、同月一九日に警察に事件を報告し、その事情聴取を午後八時頃まで受けた。その後、右事件を知って来校した報道関係者への対応に同日午後一〇時頃まで、その後今後の処理と指導対策についての検討に日曜日である翌日午前零時頃まで、いずれも校長、教頭の加藤凱城、教務主任、校務主任とともに当たり、更に、加藤教頭らと午前四時過ぎまで今後の対策について再検討を加えるなどした後、応接室で一、二時間仮眠を取っただけで、午前六時半頃には、来校した加害者の保護者と話し合ったり、その後来校した報道関係者に応対したり、更に、警察の現場検証に立ち会うなどし、結局、豊正中学校を出て帰宅の途についたのは同日午後七時頃であった。
その後も、右事件の事後処理として、報道関係者への対応、臨時職員会や臨時PTA役員会、生徒指導部会等に関与するなどしていたが、その間、右事件は、全国版にも新聞報道されるなどして、外部にも広く知れわたるに至っていた。
(二) 三年生女子生徒の家出とその捜索、指導
同月二四日、三年生女子生徒三名が家出をするという事件が発生したため、恒雄は、これら生徒の捜索に従事し、無事発見された後は、各家庭を訪問してその指導に当たった。そのために、同日から三日間は毎日午前零時過ぎに帰宅していた。
(三) 二年生女子生徒による対教師暴行事件とその処理
同月二五日には、二年生女子生徒二名が女性教師一名に対し暴行し、同月二八日には、同じく二年生女子生徒一名が女性教師一名に対し暴行するという事件が発生し、その都度、恒雄も事後処理に当たった。
(四) 職員室への不法侵入事件
同年三月五日土曜日の午後一〇時頃、恒雄は、何者かが職員室に不法侵入した旨の連絡を受けて直ちに駆けつけ、警察に連絡し、警察の現場検証に立ち会い、その後施錠して翌日午前零時三〇分頃帰宅した。
(五) 卒業式前後の非常勤務体制
同年三月一四日月曜日の卒業式について、前記のような暴行事件等もあって例年に増して神経を尖らせる必要があり、その前日の日曜日に卒業式の会場が生徒により荒らされたりするのを未然に防止するため、前々日である一二日の平常勤務を終えた後、午後零時一五分から非常警備体制に入り、恒雄がその指揮者となって、卒業式の翌日である同月一五日朝までの間、常に徹夜で校舎の周囲や式場を見回るなど非常警備に当たった。
(六) 同年四月一四日の対教師暴行事件とその処理
同年四月一四日午前九時頃、三年生女子生徒二名が、授業中の二年生の教室に押し掛けて仲間の女子生徒を連れ出そうとし、杉本玲子教諭から自教室に戻るよう注意された際、その場で、同教諭に対し、「生意気だ。」などと喚きながら、顔面を殴ったり、腹部を蹴る等の暴行を働き全治一週間の傷害を負わせるという事件が発生した。そのため、恒雄は、その事後処理として、生徒指導、保護者指導、警察での事情聴取への対応、報道関係者への対応に追われた。
(七) 同年五月一〇日から一二日までの修学旅行への付き添い
豊正中学校では、同年五月一〇日から一二日までの間三年生の修学旅行が実施されたが、恒雄は、生徒指導のためこれに付き添った。その間、出発時には、旅行への参加を見合わせていながら、突然異様なヘアカラーに染めるなどした格好で現れ教師の制止を振り切って乗車した生徒の指導を行ったり、旅行先で他校の生徒といざこざを起こした生徒がその他校の生徒に宿泊先まで押し掛けられてパトカーの出動を招き、その対応に迫られたり、乗車中のバスの中でシンナーを吸引した生徒に対する注意・指導に追われるなど、間断なく発生するトラブルにその都度対応し、夜は問題行動を未然に防止するため、廊下等でその監視に当たるなど、旅行期間中殆ど不眠不休でその職責を果たしていた。
(八) 同月一五日から一七日までの太閤祭での防犯対策
同月一五日から一七日までの間は中村区で最大の祭りである太閤祭が実施されたが、その際には生徒の問題行動が多発しやすいため、例年と同様、その期間中は教職員と地域関係者で防犯対策を取っていた。恒雄は、一人でその一〇日前から防犯対策の立案、連絡、印刷物の作成等に当たり、修学旅行の直後である右期間中の防犯対策には毎日深夜まで当たり、帰宅は三日間とも午前零時三〇分過ぎであった。
(九) 同年六月一日の交通事故による生徒の死亡事故とその対策
同年六月一日午後九時五五分頃、三年生男女生徒及び卒業生の合計六名のグループのうち二名がオートバイ乗車中に駐車中の乗用車に衝突して転倒し、ガードレールに激突するという事故を起こし、後部座席に同乗していた三年生男子生徒一名が腎臓破裂で入院するという事件が発生した。その際、恒雄は、当該生徒の所属していたグループの他の生徒を指導する機会にもなるとの観点から、入院先の病院を、同月一日、三日、五日、七日及び八日と連日のように訪れて当該生徒に付き添い、同月八日に当該生徒が死亡した後は同月一二日の通夜までの間毎日その自宅を訪れるなどし、連日夜遅くまでその処理に当たっていた。
(一〇) 同月一七日の家出した女子生徒の探索
同月一七日、三年生女子生徒一名が家出したとの連絡を受けたため、同日午後六時頃から午後一〇時頃までの間、その生徒の友人宅や学区内の盛り場等を探索して回った。
4 恒雄の休暇取得の状況等
恒雄は、少なくとも昭和五六年以降本件発症当時まで、年次休暇を取ったことがなく勤務日数の全部について出勤していた。また、前記3(七)の修学旅行に付き添った後の日曜日はいつも、問題行動を起こしがちな生徒の多いサッカー部の試合に、生徒指導の一環として応援に出かけるなどしていた。
5 恒雄の本件発症前日の勤務の内容及び本件発症の際の状況
(一) 恒雄は、本件発症の前日である昭和五八年六月二七日午前七時五〇分に豊正中学校に出勤し、校舎の外周を巡視し、午前八時三〇分には朝の職員会議打合せに参加した後、午前九時頃再度校内を巡視した。その際、授業を受けずに出歩いていた三年生徒数名の指導に当たったり、校内でシンナーを吸引している生徒がいる旨の情報を受けてその発見に努めたりしたが、自席に戻った際には「疲れた。」と述べて机にうつ伏せたりしていた。午前九時四五分から三年七組で理科の授業を行った後、午前一〇時四五分頃から校内を巡視したが、その際、空き教室でトランプをしていた五、六名の生徒を指導して各所属学級に連れて行くなどした。午前一一時三〇分頃には、同僚である青木教諭から、豊正中学校の生徒で教護施設である玉川学園に収容されている生徒が行方不明になった旨他校教師から連絡をうけたとの報告を受け、午前一一時三五分から午後零時二〇分までは、三年六組で理科の授業を行い、これを済ませたその足で豊正中学校西門に赴き、校外に抜け出ようとしていた生徒を注意するなどした。その後、職員室で昼食を済ませ、第五校時が始まる午後一時一〇分頃から校舎内外の巡視に出かけ、午後二時頃自席に戻ったが、やや疲れた様子であった。暫くして、当日の受講を終えて恒雄の席に来た生徒三名と雑談をするなどし、午後三時には、青木教諭との間で、先刻報告を受けたところの玉川学園を出て行方不明となっている生徒について話し合い、当該生徒の家庭に連絡を取った上、退勤後学区内をパトロールする際に手かがりを掴むべく努力するなどの対応を執ることにした。午後四時一〇分頃には、最後の校内巡視を済ませて校舎の施錠状況を点検し、午後五時二〇分頃退勤したが、当日は、定期テストの二日前で部活動がなく、平常よりも早めに帰宅した生徒が問題行動を起こしやすいときであったことから、その帰路、生徒指導担当の同僚教諭五名とともに学区内のパトロールに向かい、二手に分かれて、中村公園、ゲームセンター三箇所、ジャスコ、名鉄ストア等を見て回り、午後六時二〇分頃喫茶店に集合し、軽食等を摂りながら、今後の生徒指導について話し合った。その後午後八時頃喫茶店を出て帰宅することになったが、その際、同僚に対し、疲れた様子で「明日は休むで頼むぞ。」などと言ったが、同僚から誘われ、気晴らしのため麻雀をすることになり、麻雀荘で午後八時一〇分頃から午後一〇時五〇分頃まで同僚二人と麻雀をし、その後レストランに入ってコーヒーを飲みながら雑談して別れ、午後一一時五〇分頃帰宅した。
(二) 恒雄は、帰宅後入浴し、同月二八日午前一時頃就寝したが、暫くして胸の痛みを訴えて起き上がり、その後妻が救急車の手配をしている間に倒れ、救急車で岡山病院に搬送されたが、同日午前三時一五分、その死亡が確認された。その死因は、前記三4で認定したとおり、急性心筋梗塞の発症によるものであった。
五 公務起因性
1 公務の過重性
(一) 本件発症前日までの勤務による疲労ないしストレスの蓄積
前記三及び四の1ないし4で認定した各事実を総合考慮すれば、恒雄は、尋常とは思えないいわゆる荒れた状況にある豊正中学校において、生徒指導主事として、勤務時間中はもちろん、時間外の夜間までいつ発生するか分からない生徒の非行や問題行動又は父兄等からの相談に常に備え、いったん事が発生したら直ちにこれに当たり、それ故に、不規則な勤務形態が恒常化しているという状況にあって、しかも、昭和五七年以降は年次休暇も全く取らず、休日も返上して生徒指導を兼ねた行動に出ていたなど、その心身の休養を図る暇もなく、正に働きづめの状態にあったというべきであり、特に突発的に発生する事件等に備えて常に緊張状態にあったことが窺われることからすれば、その公務の実態は健康に何の問題もないような者にとってさえ過重というべきであって、これを本件血管病変という基礎疾患を有する恒雄が遂行したことにより、身体的、精神的疲労とストレスを蓄積させ、その疲労の回復やストレスの解消も図られることなく、慢性的、恒常的な過労とストレス過多の状態に陥ったまま本件発症前日に至ったことが認められる。
(二) 本件発症前日の公務の内容
恒雄は、右のとおり、本件発症前日までに既に慢性的、恒常的な疲労とストレス過多の状態に陥った身体状況にあったところ、前記四5で認定した各事実によれば、そのような身体状況にあった恒雄が、本件発症前日である昭和五八年六月二七日の午前七時五〇分から午後五時二〇分頃までの間、それが平常の勤務とはいえ、授業の合間に繰り返し校舎の内外を巡視して生徒指導を行う等の勤務に従事し、その後、引き続き同僚とともに午後六時二〇分頃まで校外パトロールを行ったが、そのパトロールを終えた際には疲労の様子が窺えたというのであって、これら本件発症前日までの恒雄の身体状況、本件発症前日の就労の状況、その際における恒雄の身体の状態等の事実を総合考慮すると、本件血管病変の基礎疾患を有する恒雄にとって、本件発症直前の公務の内容は日常の公務に比較して著しく過重であり、本件血管病変を急激に増悪させるに足りるものであったことが認められる。
この点、前記四5で認定したように、恒雄は、パトロールを終えて軽食を摂りながら生徒指導につき話し合った後、同僚三名と麻雀をした事実が認められるが、当日の仕事で疲労していたとはいえ、恒常的にストレス過多の状況にあった恒雄が、そのストレス解消を図って気晴らしに麻雀をすることは格別不自然とも思われず、右事実をもって右認定を左右するには足りないというべきである。
(三) なお、被告は、公務の過重性については、被災者が占めていた職に割り当てられた業務のうち正規の勤務時間内に行う日常の業務を基準とし、また、「同僚職員」、すなわち、当該被災者と同程度の年齢、経験等を有し、目常業務を支障なく遂行できる健康状態にある者を基準として、客観的に判断されなければならないとし、右基準によれば、本件では、公務の過重性は認められない旨主張する。しかし、被告のいう右判断基準自体、正規の時間内に行われる日常の業務そのものが過重な業務である場合や健康に問題のある者を最初から除外し考慮しない点において採用し難いものであることは前記二3で述べたところから明らかである上、前記認定のとおり、恒雄の行っていた公務は健康に問題のないような者にとってさえ過重であったといえることからしても、被告の右主張は採用できないといわざるを得ない。
2 相当因果関係について
(一) 以上認定した事実を総合すると、恒雄は、右1(一)で判示した著しく過重な公務により精神的、身体的疲労を回復することなくこれを蓄積させ、その結果、前記三で認定した本件血管病変を進行・増悪させて急激な冠動脈内腔の狭窄ないし閉塞を起こしやすい身体的状態のまま本件発症前日に至り、右1(二)で判示したように、本件発症前日にも、勤務時間における勤務のみならず、その終了後にも校外パトロールに当たるなどの過重な公務に従事したことが認められる。これらの事実によれば、右過重な公務により恒雄の本件血管病変(冠動脈硬化及び冠動脈内腔の狭窄)が自然的経過を超えて急激に進行し、その結果、心筋の変性、壊死の結果を招来し、本件発症に至ったこと、すなわち公務と本件発症との間の相当因果関係が存在した事実を推認することができるというべきである。
(二) 被告の主張について
被告は、恒雄が本件発症前に既往症として心筋梗塞を有していたとし、①本件血管病変が自然的経過をたどりその既往症たる心筋梗塞を再発させるほどに重篤な状態にあったため、その再発を招いた、あるいは、②恒雄には、総コレステロール値と血糖値の異常、喫煙の習慣という心筋梗塞の長期危険因子が認められることに加え、本件発症当日が突然死の多い月曜日であり、かつ、六月下旬の不快な気候であったこと、恒雄が本件発症直前に約二時間四〇分の間煙草を吸いながら「三人打ち麻雀」をしたこと、午前零時頃に帰宅して入浴したこと等の本件発症の引き金となり得る短期危険因子も認められることからすれば、本件では、公務の過重負荷以外の原因が公務に比較して相対的に有力なそれとして基礎疾患を増悪させたというべきであるから、恒雄の公務と本件発症・死亡との間には相当因果関係はない旨の主張をしている。しかしながら、以下述べるとおり、被告の右主張はいずれも採用できない。
まず、被告の右①の主張については、恒雄が本件発症前に既往症として心筋梗塞を有していたかどうかは暫くおくとしても(恒雄には本件発症前に心筋梗塞を強く疑われる既往症があったことは前記三4で認定したとおりである。)、恒雄の本件血管病変が自然的経過をたどりその既往症を再発させるほどに重篤な状態にあったという事実は、これを認めるに足りる証拠はないから、これを採用できない。
また、被告の右②の主張についてみるに、本件発症についての長期危険因子及び短期危険因子として被告の挙げる事実は、いずれもこれを認めることができるものであり、しかも、これらの危険因子が恒雄の本件血管病変に作用して本件発症を招いたと考えるのが相当である旨の専門家としての意見を、水野、岡本及び加藤の三医師が述べていることは前記三3で認定したとおりである。
しかしながら、右医師三名の意見は、右の危険因子がいずれも客観的なデータであるのに対し、同じく危険因子とはいいながら、ストレスないし疲労の蓄積というものは客観的・定量的に把握できないものであるから、両者を比較すれば、本件発症のより客観的な原因として認めることができるのは前者であるとの観点から述べられたものと思料されるところ、その意見は厳密な自然科学的因果関係の証明を目指す立場からすればそれ自体首肯できないものではないが、前記三2(四)で判示したとおり、法的因果関係は必ずしもそのような厳密な証明を要するものではなく、通常人の目から見て本件発症の原因であると判断され、また、医学的にも、厳密にその機序、程度を証明することまではできないにしても、そのような作用のあることが矛盾なく説明されれば、これを推認して妨げないものであることに照らすと、採用できないものといわざるを得ない。そして、被告の主張する右危険因子が存在したという事実からは、最大限これらの危険因子が本件発症に作用した可能性があることを推認できるというにとどまり、それ以上に、これらの危険因子が、前記認定の恒雄の過重な公務に比較して相対的に有力な原因として本件血管病変を増悪させたことまでも推認することはできないし、他にその事実を認めるに足りる証拠もない。他方、本件では、恒雄の公務の過重性が認められ(右三名の医師らの意見も、恒雄の公務に伴うストレス等が本件発症に作用したことを否定するものでないことは、前記三3で認定したとおりである。)、これを基礎に公務と本件発症との間の相当因果関係を推認することができることは前判示のとおりであって、以上説示したことに照らせば、被告の右主張も採用できない。
六 以上によれば、恒雄の死亡には公務起因性が認められるから、これと異なる判断に基づいてされた本件公務外認定処分は違法であり、取消しを免れない。
第四 結論
よって、原告の本件不支給処分の取消しを求める旨の主位的請求に係る訴えは不適法であるからこれを却下し、本件公務外認定処分の取消しを求める旨の予備的請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官福田晧一 裁判官立石健二 裁判官安藤祥一郎は、転補のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官福田晧一)
別紙問題行動一覧<省略>